【第二章 女性青年マンガ家の誕生】


(60年代中頃~70年代)

 青年マンガ誌の歴史は、このように雑誌の多様化の流れで、細かく発展してきた。そんな青年マンガ誌の歴史上、少女漫画誌ではない新たな雑誌からデビューを飾った女性がいた。

岡田史子、『COM』に登場

 1967年『COM』より、手塚治虫に声をかけられた岡田史子が「太陽と骸骨のような少年」で高校在学中にデビューする。その後、本誌で岡田の作品を見たやまだ紫が『COM』への投稿を開始し69年に同誌でデビューを果たしている。また、『COM』は『ガロ』と共に若手の登竜門とされ竹宮恵子(現・竹宮惠子)も入選を果たしている。
 当時、一部の大学生などに支持を得た『COM』・『ガロ』は元祖オタク系コミック誌と言っても過言ではない。大衆ではなくどちらかと言えばマニア向けの雑誌として細々と出版がなされていた。実際『COM』は73年には廃刊してしまい、『ガロ』も廃刊は逃れるものの71年に白土三平の『カムイ伝』の終了と共に部数が下落していった。

なぜ『COM』だったのか

 では、なぜ岡田は『COM』でデビューしたのか。
 なぜ少女マンガでデビューしなかったのか。
 またなぜ、他の青年コミックではなかったのか。
 それには当時から「天才」と呼ばれていた手塚に声をかけられたこともあるが、何より岡田のマンガが当時のどのマンガとも明らかに「毛色」が違っていたからだろう。
 当時の少女マンガ界は、『週刊マーガレット』(63年)、『週刊少女フレンド』(63年)などが創刊され、少女マンガの基盤が整い始めたころであった。内容は、貸本少女時代から活躍していた水野英子やわたなべまさこらが描く、バレリーナやお姫様あるいは亡き母を慕うひたむきな女の子がヒロインのロマンチックなストーリー、「サインはV」などのスポ魂もの、あるいは楳図かずおの恐怖漫画などが主流だった。そんな中、岡田はイラストのような絵のタッチで、詩のようなせりふ、明確な完結(わかりやすいハッピーエンド)のないストーリーは明らかに子供向きの内容ではなかった。
 一方、青年マンガとして出たばかりの大衆向け劇画雑誌は、劇画と風刺的ギャグ漫画が内容の大半を占めていた。絵のタッチの違いは明白であった。もちろん内容も暗くシビアな劇画には合わなかった。当時の漫画で最も岡田の作品に近かったのは、手塚が描き始めたばかりの「火の鳥」だったのではないだろうか。もちろん「火の鳥」も当時は『COM』で連載されていた。

 こうして岡田を皮切りに、「非・少女漫画」の女性作家によるマンガが『COM』『ガロ』で次々と発表された。先述のやまだは、『ガロ』への投稿も考えていたそうだが、『COM』への投稿のいきさつを以下のように語っている。

 「見て知ってはいたけど、『ガロ』は水木(しげる)さん、白土(三平)さんとかつげ(義春)さんとか男の人ばっかりで入っていきづらかったと思う。たまたま『COM』を読んでみたら、デビューしたての岡田史子さんの作品が載っててね。岡田さんの絵のタッチとか、だるい感じのストーリーとか、たぶんムンクをモデルにした漫画なんだろうけど、とても自由に描いてある作品で。そういうのが載ってる雑誌を見たのは『COM』が初めてだったから。「こういう自由な雑誌があるんだ」と感激して、帰ってすぐ投稿作品を描き始めた。 」

 『ガロ』と『COM』では、『ガロ』の方がより政治色が強かったとの指摘もある。 しかし73年に『COM』が休刊すると、『COM』出身者は男女とも『ガロ』に移ってきた。劇画が主流だった青年誌や、方向性が確定しつつあった少年誌が隆盛していた時代背景からすると、『ガロ』は少女でもなく青年でもなかった「天才肌の女性」の作品発表の場として、貴重な存在だったと考えられる。

70年代、青年誌と三流エロ劇画、24年組

 また、1970年代中頃から三流エロ劇画雑誌に掲載される『ガロ』系作家が増えるようになった。三流誌は単なるエロティシズムの自由表現の場でなく、発表場所が限られていた若者たちにとっても貴重な自由な場であった。かつて、近藤ようこや山田双葉(現・作家の山田詠美)ら女性作家もエロ劇画ではないマンガを三流劇画誌に掲載していた。
 三流劇画誌は後に過激さのあまり、出版社が摘発されることもあり 、雑誌の発行数が激減したが、ここで技術や新たな読者層を獲得できた作家達にとっては『ガロ』以来の貴重な作品発表の場であった。
 他方、70年代と言えば少女マンガが革新期を迎え、萩尾望都、竹宮恵子、山岸涼子、大島弓子、樹村みのりら「24年組」が登場し、少年愛やSFファンタジーなどが男性読者をも捉えた。その陰には、彼女たちが『COM』の洗礼を受けたことにあると言われている。 確かに、竹宮は『COM』で新人賞を受賞しており、樹村は作品がいくつか掲載されていた。 『COM』は早々に休刊してしまったが、少女マンガに新しい風を吹き込んだことは確かだった。