【第三章 女性マンガ家の増加期(80~90年代)】

 

 1980年代の「ヤング誌創刊ラッシュ」が、女性作家に与えた影響は、とても大きい。それまで、少女マンガでないが故に発表の場が限られた作家というのは想像以上に多い。そして、80年代からははじめから「少年マンガを描きたい」とジャンルにこだわる高橋留美子ら作家が登場し始める。

ヤング誌創刊ラッシュがもたらしたもの

 79年『ヤングジャンプ』創刊以後、ヤング誌には多くの女性が登場する。その中でも最も知られているのが、柴門ふみ「P.S.元気です、俊平」(『ヤングマガジン』80~84年)と高橋留美子「めぞん一刻」(『ビッグコミックスピリッツ』80~87年)だろう。他には、石坂啓、玖保キリコらが活躍をしていた。

開始年※ 作家名 作品 掲載雑誌
79高野文子絶対安全剃刀JUNE
80杉浦日向子虚々実々通言室之梅ガロ
81高橋留美子めぞん一刻スピリッツ
81柴門ふみP.S.元気です、俊平ヤングマガジン
82森下裕美少年ガロ
83柴門ふみ女ともだちアクション
85桜沢エリカウーくんのソフト屋さん Special漫画カルメン
86玖保キリコいまどきのこどもスピリッツ
86石坂啓キスより簡単スピリッツ
87やまだないとキッスヤングマガジン
87くじらいいく子マドンナスピリッツ
87目白花子東京バンパイアモーニング増刊
87松苗あけみ原色恋愛図鑑スピリッツ
88柴門ふみ同・級・生スピリッツ
88山下和美天才柳沢教授の生活モーニング
88森下裕美少年アシベヤングジャンプ
88西原理恵子ちくろ幼稚園ヤングサンデー
89秋月りすOL進化論モーニング
89高倉あつ子ハゲしいな!桜井くんヤングマガジン
89岡野玲子両国花錦闘士スピリッツ
89安彦麻理絵おんなのこである条件ガロ
90柴門ふみ東京ラブストーリースピリッツ
90石坂啓マネームーンスピリッツ
※年月は基本的に連載が開始された年。

 80年代以降の女性作家に関して、大きく二つに分けることができる。(新)青年誌からデビューした「青年デビュー」型と、もう一つは元々少女マンガなどで活躍していたが、青年誌に転向した「青年乗換え」型だ。大まかに言うと、柴門、高橋、やまだらが前者で玖保、山下、くじらいらが後者にあたる。
 前者の「青年デビュー」型の特徴は、少女マンガ家と違い、少年、少女、青年などのジャンルに強く拘っていることだ。柴門は79年にデビューして以来、青年誌を中心として恋愛もの作品を次々と発表しているが「『mimi』には何回か描いてみて、いかに自分が少女漫画に合わないかがよくわかりました。絵も話も全く浮いている。」と発言している 。また、高橋も「少年誌で描く以外選択肢はなかった」と発言している。
 柴門の各作品や松苗の「原色恋愛図鑑」などは、“恋愛の指南書”的な役割も果たしたらしい。それまでの“硬派な日本男児(「黙って俺についてこい」タイプ)”が“女性の開放(85年、男女雇用機会均等法)”によって肩身が狭くなった時代、男性がマンガで“女性の扱い方”を知った。当時の若者たちは、赤名リカ(※柴門ふみ「東京ラブストーリー」のヒロイン。自由奔放な性格で同僚の長尾完治はリカの言動に振り回される。「カンチ、SEXしよう」というセリフがテレビドラマで話題となる。) に衝撃を覚えながらも恋のかけひきを覚えたのである。
 それに対して、「青年乗換え」型の作家はさらに二分できる。例えば、玖保は少女コミック誌『LaLa』での連載の評価を受け、青年誌に登場した。それに対し、山下やくじらいは少女マンガを描きながら「何かが違う」感じていたり、編集者に「女子の気持ちがわかっていない」と言われたりすることもあった。 いずれにせよ、編集側は青年コミック誌に新たな価値をつけるために少女マンガから新しい風を吹き込もうとしていたに違いない。
 かつては、「少女」でも「青年」でもなかった「非・少女マンガ」がヤング誌の創刊によってすっぽりと「(新)青年誌」に収まった。それには、「70年代までの劇画中心の青年誌」と「すでに幅広い読者を抱え子供から大人まで楽しめる少年誌」がある中で差別化が必要で、それが柴門・高橋ら「男性向けラブコメ」や玖保ら「サブカルチャー寄りの作品」の登場という形になったのではないか。特に、スピリッツが意図して女性作家を多数起用している。そうすることで、他の『ビッグコミック』や『ビッグコミックオリジナル』との読者層を差別化し、『ビッグコミックシリーズ』は高校生から中年男性までどの世代も余すことなく対応できるようになった。この手法は、後に他の出版社にも広がり、『モーニング』から『イブニング』・『アフタヌーン』が派生し、『ヤングジャンプ』から『ビジネスジャンプ』が生まれた。
 ヤング誌の登場は、ストーリーマンガのジャンルとコミック誌の幅、両方を広げることとなった。その流れには、女性作家の登場は当然だったのかもしれない。

「女流エロ作家」の真実(岡崎京子と『漫画ぶりっこ』)

 ヤング誌が、女性作家を起用し、さわやかで少しエッチなラブコメディで学生や若い社会人の心を掴んでいる傍ら、1980年代後半になり“女流エッチ系マンガ家”と称されるようになる作家達がいた。内田春菊、岡崎京子、桜沢エリカ、原律子。彼女たちは、70年代以降に活躍したやまだ紫や近藤ようこらの後継者と呼ばれ「女の子たちの本音」を包み隠さず描いたと評される反面、性描写を女性がやっているという側面で注目されたことが度々あった。彼女らは決して少女マンガには登場せず、『ガロ』以外では三流劇画誌、エロコミック誌が主であった。もちろん、それは彼女たちが望んで選んだ場ではなかった。
 岡崎は、高校生の時に大学の学漫にマンガを掲載したのを大塚英志によって見出された。また、内田は既に女性マンガ家として活躍していた赤星たみこのアシスタントをしていた縁で、いしかわじゅんと出会い、彼の強い勧めで『アクション』の掲載が決まった。内田自身も「本当にラッキーだった」と語っていた ように、彼女たちにとっての「描く場所」はまだなかった。大塚は、ロリコン雑誌『漫画ぶりっこ』で連載をしていた岡崎に関して以下のように発言している。

「彼女たちが女の子なら生理的に拒否したいはずのロリコン雑誌にマンガを何故描かねばならなかったかと言えば、そうすることでしか彼女たちはマンガ家になれなかったからだ。八○年代初頭のメジャー誌(青年誌やヤング誌のことだろう)にはまだ岡崎京子たちの居場所はなかったし、何よりも重要なのは、そのことを彼女たちは充分知っていて、だからこそ一つの決断としてエロ雑誌の描き手として第一歩を踏み出したふしがあることだ。」

 なぜ岡崎たちは、居場所がなかったのか。なぜ、柴門や高橋が活躍していたヤング誌が居場所となりえなかったのか。それは彼女たちが同じ女性のマンガ家でありながら、描いていたのは根本的には「少女マンガ」だったからではないか。
 ヤング誌作家達は総じて少年誌志向であるか、少女マンガが肌に合わないと思っていた作家が多く、幼少のころから少年マンガを読んで育ったと発言する作家もいる。高橋の発言からも、ヤング誌のマンガは本質的には"少年誌"だ。そこに、柴門らは女性だからこそわかる「女心」をまるで読者の姉のような立場で語っていたが、決して女の全てをさらけ出さなかったように思う。なぜなら、女の本音を若い男性読者にさらけ出すことは読者の期待には沿わないからだ。
 それに対して女流エッチ系作家は、少年マンガ・青年コミックは勿論少女マンガ、特に70年代の「24年組」の影響が見受けられる。岡崎は自身の作品のキャラクターに「イワダテマリコいいよね」と言わせており、「少女漫画に反旗を翻したわけでない」と大塚が指摘している。
 ただ、彼女たちには等身大の女の子としての本音を受け入れてもらえる場所がなかった。大塚は、「少女」が同居している女の子が『「少女」と「女」に分断されている』と言っている が、「少女」も内包した彼女たちの作品こそ、本当に現実味を帯びた女の子を描いていた。

 また、80年代から登場したレディスコミックは、確かに大人の女性の恋愛も取り上げられ、少女マンガでは描けなかった性描写もあった。しかし大手三大出版社系は80年代後半以降に大人の恋愛より寧ろ仕事、自立、結婚、出産、育児などをテーマとした作品を中心に据えた。当初は性描写が中心だった中小出版社との差別化を図るためだったためかもしれないが、そういったアクティブな新時代の女性が、今までになかった未開のテーマであったから、そのような方向性にシフトしていったのではないか。80年代、少女・レディス系コミックは「70年代の終焉を迎えた“老舗”少女」と「時代が変わり、自立できる大人の女性を描いた“新星”レディス」の間、岡崎や桜沢らが表現したかった、ある意味中途半端な女の子たちの本音は居場所がなかったのだろう。